黒部ルートをたどるにあたり、ここになぜ黒部ルートがあるのかについてです。
黒部ダムや破砕帯で有名な「戦後」と、小説『高熱隧道』の舞台になっている「戦前」という歴史があります。
◆戦前
日本電力が発電所建設のため宇奈月から現在の黒部峡谷鉄道を延伸していき、1937年に欅平まで開通します。
宇奈月~欅平で観光客を乗せるようになったのは1953年からです。
1941年に仙人谷まで延伸。ここが現在の「関西電力黒部専用鉄道(上部鉄道)」で、観光客は入れません。
岩盤が160度に達するところの掘削が行われました。
以前、小説「高熱隧道」を読んだことがあり、今回もここに関心がありました。ダイナマイトが自然発火するなどの事故が相次ぎ、戦前ながら警察が工事中止を命じるほどでした。雪崩で宿舎が吹き飛ばされるなどの事故もあり多数の犠牲者がでました。
1940年に「仙人谷ダム→黒部川第三発電所」で発電が開始されました。
◆戦後
復興で旺盛な電力需要に応じるため関西電力は社運をかけて「黒部ダム→黒部川第四発電所」の開発に着手します。
ダム・大町トンネル(5.4Km)もさることながら、ダムの下流方向に、黒部トンネル(10.3Km)・インクライン・黒部川第四発電所・関西電力黒部専用鉄道・水路トンネルという膨大な地下構造物が建設されました。
1956年7月 大町トンネルの掘削開始
1956年9月 黒部トンネルの掘削開始
1956年11月 発電所の掘削開始
1957年5月 大町トンネルで破砕帯に遭遇
1958年2月 大町トンネル貫通
1958年5月 インクライン斜坑貫通
1958年7月 水路トンネル掘削開始
1959年2月 黒部トンネル開通
1959年8月 水路トンネル開通
1959年9月 ダム本体の建設にとりかかる
1960年10月 ダムに水を貯め始める
1960年11月 水車発電機通水開始
1961年1月 黒部川第四発電所発電開始
黒部ルート見学会参加者に「しおり」が配布されます。その「資料集」にまとめられています。詳しくわかりやすいものは検索してみてもなかなかないです。