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東京都下で5人暮らしパパの雑記。

父の葬儀で感じたこと/熊本の葬儀の「目覚まし」「お寿司等禁止」/葬儀に関して”マナー"”常識"と語るのは危うい

父の命日が近いので、葬儀の時のことを思い出します。

 

◆お通夜の「目覚まし」
熊本ではお通夜の際は「目覚まし」を持参します。1,000円程度の現金です。
告別式に参加しない場合は香典を持参します。
「目覚まし」は、故人に徹夜でつきそう人への茶菓代だそうです。故人を起こそうということではありません。
なお、嫁さんの実家(岐阜)では、「おさみし見舞い」という饅頭を持参することになっています。
これで思ったのは、ことに葬儀に関しては「常識」と語るのはあやういということです。
宗教もありますし、同じような宗教でも、地域の差があります。
「目覚まし」「饅頭」そんなもの聞いたことがないといわれても、それは知られていないだけで、地域では常識でした。
目覚ましや饅頭を持ってこないのはマナー違反で非常識でしょう。
葬儀に関しては、「マナー」「常識」といったことで安易に口出しはできないものだと思います。
郷に入れば郷に従えでやりたいと思います。


◆ナマモノ禁止
東京にきて驚いたのが、通夜ふるまいを親族以外も食べるということでした。
また、さらに驚いたのが、お寿司が出されることでした。
「寿」じゃないですか。ナマモノじゃないですか。
子供の頃に熊本で経験した数少ないお葬式でも、信仰があついわけではまったくありませんが、殺生禁止、肉、魚、特にナマモノはだめだというのは強く覚えていました。
あれは時代の流れか・・と思いましたが、父の葬儀の際はやはりナマモノはありませんでした。
おとき(朝食)で、卵焼きが付いていたのに、伯父が「これはいいのか・・(やばくくない?という意味で)」と言っていたぐらいでした。

告別式、火葬の当日に、初七日法要のあと、精進あげです。
その日の朝に卵焼きに疑問を呈していたのに、昼すぎにはお刺身などのごちそうに舌鼓でした。
ごく短時間の精進です。

自分がここで他界すれば、東京の市民聖苑での葬儀になるでしょう。
目覚ましなし、通夜ぶるまいあり、お寿司ありの、郷に入れば郷に従えでやってもらいたいと思います。

 

以下は思い出話・・。

 

◇虫の知らせと看護師さんの勘
死亡診断書によると父は胃がんで他界しました。
余命数ヶ月と母から知らされていましたので、礼服を注文していました。
納期3週間ぐらいのものが土曜日に礼服が届き、受け取りました。
すぐ後に、母から連絡があり、お医者さんが2,3日と言っているとのことでした。
実家までは飛行機で行きます。飛行機は当日と前日ではまったく運賃が違うこともあって、明日日曜日の早い便で行くと伝えました。
しかし、また連絡があり、担当の看護師さんが「今晩がやまで明日では間に合わない。今日来るように伝えて」と言っている、とのことでした。
急遽、最終便で帰省しました。そのまま病院に行き、付き添い、父は日曜日の午前6時ごろに他界しました。
看護師さんのアドバイスを聞かなかったら、間に合わないところでした。
また、礼服が1日ずれていたら、これも間に合いませんでした。

 

◇死期のにおい
医師より看護師のほうが的確だったことを、看護師をやっているいとこに話したところ、看護師は死期がにおいでわかると言っていました。
そういえば父の病室にはテレビショッピングでやってるみたいなやたら大きな海外製の脱臭剤がおいてありました。
父がそそうでもしているのかと思いましたが、そういうにおいも感じられず、看護師さんにはにおいが感じられていたのかもしれないと思いました。

 

◇食事は故人と生きている人の境目
父は午前6時ごろに他界しました。葬儀社などは決めてあったので、一時的に霊安室を経て、混乱することなく手際よく斎場に運ばれていきました。
葬儀社の人と母と細部を打ち合わせて、一段落して、斎場の建物の外にでて、空気を吸ったところ、「そういえば腹減ったな」と思いました。
ああ、父はもう食事がいらないんだと気づき、「生と死」が分かれたと強烈に感じて、この時にはじめて泣きました。
「食べること」は生きることです。次の食事まで生きていられるか。食事にありつくことは生きている喜びだと思いました。

 

◇お通夜
前述のようにお通夜には「目覚まし」を持った方々が集まりました。
告別式に出ない方はお香典も持参されます。目覚ましとお香典はリストが別です。
儀式のあと、そのまま散会です。通夜ぶるまいはありません。

 

◇故人と共に過ごすこと
遺体と一晩すごすことははじめてでした。
怖いのではないかと思いましたが、父なのでそんなことはまったくありませんでした。
残念ながら幽霊が現れてとか、枕元に立ってとかいうことも、夢にでてくることもありませんでした。

 

◇おとき
告別式の前の朝食、「故人との最後の食事」とされているものです。
おときをお寺さんへのものとする記事もありますが、私の場合はおときはお寺さんは関係ありませんでした。
前述のように、精進料理ですが、卵焼きがあることを伯父が指摘していました。

 

◇告別式
告別式のあと、霊柩車に運び込み、挨拶をして火葬場に出発します。
親族以外の告別式の参加者は霊柩車を見送って散会で、振る舞いはありません。

 

◇火葬場
火葬場では親族だけで過ごすことになります。
待っている数時間、めったに会えない親戚、いとこと話がはずんで、とても楽しかったです。

 

◇精進あげ
斎場に戻り、初七日法要のあと、精進あげでした。
精進あげはもう通常の食事で、ごちそうでした。
これも親戚との話がはずんでとても楽しかったです。

 

◇写真がない
当時はまだスマホがありませんでした。
デジカメはありましたが、持っていませんでした。
葬儀で喪主の側にいる自分がカメラで写真を撮るのも変でしょう。
いろいろ思い出せるのに、写真がないのは、今となっては不思議です。
親族が集まるせっかくの機会、むしろ結婚式と同様に、記念写真をとるぐらいにどんどん撮っておけばよかったです。

 

◇お葬式はとても楽しかった
親族が集まって1日〜2日を過ごせるのは葬儀ぐらいしかないのかもしれません。
名残惜しく散会の時間になり、親族を見送る際に、酔った伯父が「今日は楽しかった〜」と握手を求めてきました。私もとても楽しかったです。
伯父は「楽しかったがあるか!」と伯母に怒られていました。
父の死は、まだまだな年齢であったとはいえ、定年退職をして孫もいて、また急な死ではなく覚悟ができていたこともあったと思います。
父の会でみんなが楽しんだことは本当によかったとおもいました。

 

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