阪神大震災で被災した神戸の復興を願った「しあわせ運べるように」という曲があります。
「神戸ルミナリエ」の消灯式でも流れます。
私は、2011年の東日本大震災の後に、この曲を初めて聞きました。
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
ストレートな曲だなと思いました。
この曲の歌詞に、
傷ついた神戸をもとの姿にもどそう
という部分があります。
神戸でないところでは「ふるさと」に変えて歌われます。
2016年に熊本地震がありました。
私は関東にいましたので影響はなく、実家や親族も被害はありませんでした。
それなのに、熊本が被災したというのは打ちのめされ、自分でも意外なほど、気分が沈みました。
励ましとしての「傷ついた熊本をもとの姿にもどそう」と変えた合唱を聞いて、泣きました。
「神戸」、東日本大震災の被災地をふまえた「ふるさと」では泣かなかったのに、熊本では泣きました。
阪神大震災も東日本大震災も、どこか他人事だったと思い知りました。
他人事だったから悪いとは思いません。
他人事であるゆえの考え方や支援があります。
被害や人の死のエピソードをぜんぶ受け止めていては、もちません。
しかし、自分ごとになっている人と他人事の人の受け止め方はだいぶ違うということもわかりました。
またこのときに、傷ついた熊本がもとの姿に戻らないことも、認識しました。
阿蘇大橋は再建されないし、国道57号線も数年かかって復旧しましたが、違うところを通っています。
阪神大震災や東日本大震災による変化に比べればごく些細だと思います。
けどもうもとには戻らなかった。
もう「地震前」はない。
日本では自然災害はなくなりません。
自然災害が「自分ごと」になった人の気持が想像できればと思います。
2016年4月20日の写真です。
熊本空港は閉鎖。これを見ても泣いた。