熊本出身の武田アナウンサーが熊本地震の日に語りかけたのは覚えています。
熊本日日新聞の記事です。
この記事、共感するところがたくさんありました。
熊本城が大きな被害を受け、帰省のたびに通っていた阿蘇大橋が落ち、高校時代にテニス部で合宿していた東海大阿蘇キャンパスや、毎年初詣に行っていた阿蘇神社が被災した姿を見た時は、自分の心が傷つけられる感じでした。
東日本大震災の被災地などでも胸が痛くなる思いを何度もしましたが、よく知っている地域が傷ついた姿に思い出が次々と浮かび、やり切れない思いでした。
私もそうでした。熊本地震は、東京では揺れも感じずなんの影響もなかったのに、受けたショックは東日本大震災以上でした。
東日本大震災はどこか他人事だったのを思い知らされました。
4月16日の朝、ヘリコプターからの中継を見ていました。
土地勘のない東京のスタジオのアナウンサーの解説で要領を得なかったのですが、山肌の57号線が流され、道路が寸断され「あるはずの阿蘇大橋がない」と気づいたときは大変なショックを受けました。
私は翌月の2016年5月に熊本に行きました。
行っても何もできることはないのですが、東日本大震災のとき、自分自身が「同じことを繰り返してでも誰かに経験を話してショックを軽減している」と感じていたので、母と祖母の話を聞くつもりで行きました。
当時、JALの機内wi-fiはまだ有料だったのですが、熊本行きの飛行機は無料でした。
それを見たときに私は泣きました。
無料サービスだから泣いたのではなく、熊本がこのような配慮を受ける被災地になったということに泣きました。
これも予想していなかった感情でした。
時がたつにつれて、熊本地震について大きく報じられることが少なくなってきました。全国的な報道機関にいる者として忸怩[じくじ]たる思いがあります。
今後、15年、10年。
5年1ヶ月ずれであることを覚えておいていただければと思います。
武田アナウンサーが熊本出身だとは知っていましたが、細かいことはこの記事で初めて知りました。
当時は学区制があって他学区を受けるのは不利でした。
高森から熊本高校(熊本市)とは大変な期待を受けて下宿されたことと思います。