うしうしWeb

東京都下で5人暮らしパパの雑記。

科学と科学者と専門家と社会と

 
東日本大震災のときもそうでしたが、テレビにはさまざまなコメンテーターがでてきます。
感染症地震などについて、芸能人の「感想」は論外として、専門の人の話は聞きたいところです。
科学者が社会の領域に踏み込むことには慎重になるべきだと思っています。
 
ところで、南海トラフ地震に関して大規模地震対策特別措置法による「警戒宣言」があります。南海トラフ地震の発生が予知されたときに出されるものです。2017年までは東海地震でしたが、南海トラフ地震に変わっています。この「警戒宣言」がでると、対象地域では交通の遮断や商業活動の停止など、社会的に大きな影響があります。地震の予知は科学的ですが、警戒宣言は社会的です。科学的な予知があっても、社会的な警戒宣言を出すことはできるのか、という懸念がありました。なお、「警戒宣言」は一度も出されたことがありません。
一方、2007年から緊急地震速報ができました。これは地震が実際に発生してから出るものです。日本の科学技術の粋です。これができたとき、自分はこれの社会的な扱いはどうなるのか、と考えました。緊急地震速報がでると、さまざまな活動が中断される制約がでます。実際のところ、受け入れられているようです。中断が短時間であることもあるでしょう。
 
地震があると、気象庁が記者会見をします。気象庁の記者会見では、質問があってもたびたび「わかりません」と回答があるのが特徴だと思います。推測はいろいろできます。記者は推測で質問をしています。それに地震の専門家の人は「わかりません」と答えています。
 
事件が起きるとさまざまな人がコメントします。大学教授等の称号を持つ人もです。しかし、どうも、まったく関係ない分野の大学教授がいます。
大学教授等の肩書だと、「その道の専門家」という誤ったイメージで受け取られることが利用されているように思います。そういった方の話は専門家の話として聞く意味があるのだろうかと思います。一般人、芸能人のコメントと同じなのではないか。
そのイメージを利用しているのか、利用されているのか。
 
科学的なことと社会的なことの枠組みがあります。
社会的なことは、政治や行政の役割です。
科学的な意見を踏まえ、社会に向けて政治や行政が調整して実行するという役割分担です。科学者が社会的なことに言及するのには違和感があります。
本当にその道の専門家か?専門家であったとしても、範囲を取り違えていないか。
 
知見は、知っていればいるほど、わからないことを答えないと思います。
それは我々一般の社会人でもそうだと思います。他業界の話を聞いてふーんと思っても、自身の業界になれば「いやそれは違う」「それはわからない」と答えたくなります。
テレビで感染症についてコメントしている人に、その本来の専門分野の質問をしたら、わからないことには「わかりません」と回答するのではないかと思うのです。