うしうしWeb

東京都下で5人暮らしパパの雑記。

新型コロナウイルスとその感染を「穢れ(けがれ)」にしてはならない

新型コロナウイルスPCR検査で陽性になる人がでています。

著名人が謝罪していますが、謝罪の必要があるでしょうか。

インフルエンザに感染して謝罪するでしょうか。仕事に穴をあけたりすることに対する謝罪であって、インフルエンザに感染したことの謝罪ではなかったはずです。

 

いま新型コロナウイルスの感染は「穢れ(けがれ)」とみなされているように思います。

穢れの観念は、人生観、宗教観も含むので、人により大きくことなります。

しかしながら、適切ではない穢れの観念、それによる忌避の行動は、差別をうみます。

穢れがなんなのか、なにが穢れなのかは、とても複雑で触れないし議論しませんが、各自が持っていると思います。

 

新型コロナウイルスは、ウイルスであって、穢れではありません。

感染した人は穢れているから感染したわけではなく、感染したから穢れたわけでもありません。

 

最近では東日本大震災のときの原子力発電所事故で発生した放射能が、人によっては「穢れ」の対象になりました。

放射能は自然に存在しており、それと同程度、無検出であっても、事故発生地、そこの生産物、そこの人を忌避する動きがありました。これは差別です。

その経験があるのに、ふたたびそのような状況になるのはとても残念です。

 

新型コロナウイルス原発事故の放射能に限りません。

穢れの観念に基づくものになると、差別をする本人は、無自覚である、正当性、または正義があると考えていると思われます。

穢れを感じることは個人が内心の自由であろうと思います。

しかし、事象、人物を忌避する、または忌避させる行動(発言を含む)を起こすとき、それは個人の穢れの観念からきているのではないか、不当な差別行為ではないか、いま一度確認しませんか。

 

社会的な距離をとるご時世ですが、穢れの観念で不当に相手に刺さる行動や言葉をなげかけないようにしませんか。